Ormandy時代のPhiladelphiaのDoubleBassパートは凄かった。
いや、今でも凄いのかも知れませんが、最近生を聴いていないもので。。:-)
このページでは、Philadelphia orchestraのDoubleBassパートについて書いてゆきます。
・Ormandy指揮のPhiladelphia o.を1978年,1981年の来日公演で聴きました。
DoubleBass9人が一列に並んでいるの にまず、驚きました。とりわけ印象に残っているのは、DoubleBassの全ての音の動きが明瞭に聞き取れるほどクリアだったことです。いや、聞き取れ ると言うよりも、目にはっきりと見える感じです。例えば、「ブンッ」と1音弾くだけで、巨大な何かがステージに現れ、その上で他の楽器の音が乗っかってい る様に「見える」のです。残念ですが、残された録音でこの「目に見える感じ」が捉えられたものには滅多に出会いません。
このコンビの演奏は録音に入りきらない、などと良く言われますが、特にDoubleBassの音は殆ど録音・再生は不可能なのではないかと考えています。
むしろ、他のオーケストラの演奏会で時々この感じに近い瞬間が現れたときに、「ああ、これ!」と思い出します。しかしながら、大抵は長続きせず一瞬で終わ ります。タイミング、音量のコントロールを精度よく持続することがPhiladelphia程には徹底できていないためではないでしょうか。
DoubleBassパートの音を「裸」で聴ける曲はあまりありません。古典派までは殆どがチェロとオクターブのユニゾンであるため、メロディーをDoubleBassパートだけが演奏することは滅多にありません。
古典派で有名なBassのパートのソロといえば、モーツアルト:交響曲第41番 第4楽章やベートーヴェン:交響曲第9番 第4楽章くらいでしょう か。(Mutiの第9ではVc,Vaの歓喜の歌に対するDoubleBassのオブリガートにBassoonを重ねるという「暴挙」を行っています。)
近現代の曲ではメロディーを弾く例はいくつもありますが、次の2曲が定番でしょう。
・Britten
The Young Person's Guide to the Orchestra [S] 57/02/03 (C)
The Young Person's Guide to the Orchestra [S] 74/03/27,28 (R)
・Saint-Saens
Le Carnaval des animaux [S] 68/05/06 (C)
表*にしました。過去百年余りの全メンバーを年代順にならべています。
年代は、Referenceにある在籍年をもとにしています。
*Reference: A Century of Music, Those Fabulous Philadelphians
この表の横軸に席次などの意味はありません。 首席奏者(Principal)は赤い字にしてあります。
なお、assistant principalやassociate principalという役職もあるようですが、省略しています。
この表を見てまず目に付くのは、2人の首席奏者の在任期間の長さです。
A. Torelloが1914から1948までの33シーズン、R. Scott は1949から1995までの45シーズン。
2人だけで80シーズン近くをカバーしていたことになります。
A Century of Musicと100周年記念CDによれば、TorelloとScottの間にW. A. Benfieldが1シーズンだけ首席を勤めていたようです。(何故かThose Fabulous Philadelphiansでは記述なし)
A.Torelloの名は日本では(ベース弾きの間でも)あまり知られていないと思われますが、アメリカのDoubleBass界では、「The Father of the American school of overhand bowing technique」として知られているそうです。
overhand というのは弓の持ち方のことです。ベースの弓の持ち方には、2通りあり、日本ではフレンチ、ジャーマンと呼ばれています。overhandというのは、フ レンチのことで、チェロ・ヴィオラ・ヴァイオリンのように弓を上から持ちます。ジャーマンというのはヴィオラ・ダ・ガンバの様に、下から弓を掌で支えるよ うな持ち方(underhand)です。
現在、フレンチが主流の国はフランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ラテンアメリカ、イギリス、オランダ、及びスカンジナビアなどで、ジャーマンは、ドイツ、オーストリア、ルーマニアや日本。東欧、旧ソ連、アメリカでは独仏が混在しています。
ちなみにアメリカにunderhand奏法をもたらしたのはEmanuel Manoly(1856-1932)というオーストリア=ハンガリー帝国生まれのベーシストといわれています。彼は、1882年にドヴォルザークが校長をしていたニューヨークのNational Conservatory of Musical Arts(後のJulliard)に最初のbass教師として就任しました。
Torello はスペインのSan Sadurni de Noya (バルセロナの近くらしい)に1884年に生まれ、1959年にアメリカで亡くなっています。10才からbassを兄のPedroから習い、1897年か らはオーケストラで弾くようになり、その翌年にはソロデビューしたそうです(わずか14才)。Bassは、彼の兄、Pedroから教わっただけで、他の人 に習ったことは無かったそうです。
そして22才のときにはバルセロナで、Gran Teatro del Liceoのprincipalとなり、同時にConservatoryのprofessorにもなりました。
1909年にアメリカに渡り、Boston Operaでprincipalを5年間務め、1914年にストコフスキーに請われてPhiladelphia orchestraのprincipalとなりました。1926年にはCurtis音楽院最初のbass教師となります。Curtisでは18年間教えました。(1944年まで?)
その間の生徒として、Oscar Zimmerman、Henri Portnoi(Boston s.o.のprincipal)、 Roger Scott、 Warren Benfieldなどが挙げられています。Zimmerman, Benfieldは短期ですがPhiladelphia に在籍していました。なお、(*1)には挙げられていませんが、ClevelandのPrincipalを1939-1966まで務めたJacques PosellもCurtis出身ですので、Torelloの弟子だと思われます。
Torelloはdouble bass のsolo曲を作曲してるそうです(聴いたことはありませんが)。それらの楽譜は1964年に奥さんからCurtisに寄贈されたとのこと。
Torelloの写真
Those Fabulous PhiladelphiansにもA Century of MusicにもConcerto for Cameraにも、"Torello"と明記された写真はなく貴重なものです。この写真は1937年の大陸横断公演旅行を記念してRCAが制作したプログ ラムに掲載されていたもので、前年の大陸横断公演旅行の際に撮られたものだそうです。後ろにあるのは機関車。
この写真は市川さんがスキャンしてくださったものです。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~philorch/Memorandum/0203.htm
このプログラムは、林さんのページでも紹介されています。
Torello Family
表*を見ると、Carl, Williamという、もう2人のTorelloが在籍していました。この2人はAntonの息子です。1936-1947の間、親子3人がPhiladelphiaのbassセクションを牛耳って(?)いたことになります。
Reffernce
詳しい経歴がここにあります。以下は殆どがこのページからの受け売りです。
1920年頃(?)生まれ。******ご存じの方、ご連絡下さい。*****
Cheltenham High Schoolを1936年に卒業後、CurtisでAnton Torelloにdouble bass を学んでいます。1941年に卒業後、第二次世界大戦中は、U.S.Marine Band in Washington D.C.に所属。コンサートやパレードではbaritone hornも演奏していたそうです。そしてしばしばbass のsoloも演奏していたようです。
1941年には、StokowskiのAll American Youth Orchestraのツアーに参加。こちらのそのプログラムがあり、Scottの写真を見ることが出来ます。
そ の後、しばらくニューヨークでフリーランスとして活動。また、1年間だけPittsburgh Symphonyで演奏していました(当時の指揮者はReiner)。Philadelphiaに入団したのは1947年、1949-50のシーズンから Principalとなりました。その後1995年に引退するまでそのポストにありました。
教師としては、Anton Torelloを継いで1948年からCurtisで教えはじめています。現在(1999年?)のPhiladelphiaのbassメンバーのうち5人がScottのCurtisでの生徒とのこと。(誰々でしょう?)
1966/5 /14にはAlberto GinasteraのConcerto for Strings(bassのソロがある)をCaracas,Venezeuelaで世界初演しています。もちろんオーマンディ指揮。なお、翌年2月10日 には同曲をアメリカ初演しています。(1967年にCBSへ録音されています。)
Scottの他のソロ演奏は、下記の録音で聴くことが出来ます。
Scottの発言が収められた本があります。
生年月日: 不明
Curtis出身。Anton Torelloの弟子です。A Century of
Music によると、Philadelphiaへの入団は1942年で、Principalを1948-1949年に務め、すぐに退団しているようで
す。その後Benfieldは1949から1987年まで、Chicago
SOに在籍してました。そのうち、1949-1951の間はPrincipalを務めています。(Chicago soの公式wwwページによる。)
また、Northwestern UniversityとDe Paul UniversityのProfessorとして後進の指導にもあたっていました。
Benfieldの著書、"The Art of Double Bass Playing"によると、Philadelphia の前には、Minneapolis soやSt. Louis so.のメンバーだったようです。
この本は、1973年の出版ですが、現在でも容易に入手可能です。DoubleBassの演奏技術がメインの本ですが、アメリカのオーケストラや指揮者のエピソードもあり、楽しめます。Ormandyも何回か登場します。
Born in Philadelphia, Pa., September 21, 1910
April 2, 1987: Dies in Traverse City, Michigan in his 77th year.
South Philadelphia High SchoolからBassを始め、1930年にCurtisに入学。Curtisの学生オーケストラで首席奏者を務める。その時の指揮者はReiner。同級生に、BarberやpianistのJorge Bolet等が居た。同年Stokowskiに誘われPhiladelphia に入団。1936-38年St. Louis so., 1938-45にはNBC so.に所属。1945-76年にはRochester poでprincipalを務めています。
また、Eastman School of Musicで1945-76年にProfessorを務めました。この間、London so, National so, Atlanta so, Clevelando., Milwaukee, Oklahoma, Dallas, Ottawa等のオーケストラのPrincipalや、NewYork phil, Danish State o., Munich phil, Cleveland o., Philadelphia o.の奏者(誰でしょう?)を育てたということです。凄い人ですね。
なお、F.Zimmermannという人もBassの世界では有名ですが、他人です。(名字のnが余分にある。)
SOLOS for the DOUBLE BASS PLAYER Oscar Zimmermanの名前は、このBassの曲集の編者として日本でも名前が知られているのではないでしょうか。 もちろんBassを習ったことがある人、限定ですが。 私もその昔Bassを習いはじめて2年目にこの中の曲をさらいました。Bassの曲集なのに表紙に何故かチェロの写真を使っています。 |
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Once More ... From The Beginning 「もう一度、、始めから」。レッスンの時の Zimmermanの決まり文句だったのかも知れません。 Zimmermanが晩年に音楽人生について語った本です(George Murphyは編者)。 オーマンディとはそれほど接点は無かったようですが、ストコフスキーやトスカニーニ等、関わりのあった音楽家とのエピソード満載の本。 www.lemur-music.comで入手できます。上記の経歴はこの本からの受け売りです。 |
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